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おばあちゃんの論語教室
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2020年02月15日
義父の死。
1月7日の11時半ころ義父・大場清一郎が亡くなりました。
血圧が低下していき、そのまま眠るような死でした。
昭和12年生まれの82歳でした。
旧家の当主らしく、威厳のある風格を備えた方でした。
なぜか馬が合い、農作業を手伝ったり旅行にいったり、ほんとうによく接していただきました。
ただひたすら娘(僕の嫁さん)のしあわせを願っておられました。
嫁さんの目が見えるようになった姿を、お父さんに見せることができませんでした。
無念です。
この1年ほどで、おじさん、母、お父さん、3人も旅立ってしまった。
posted by おばあちゃん at 16:57|
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日記
2019年10月19日
母の死から半年。雑感。
◎ 母がお気に入りだったラ・ジータ。なぜかいけない。
◎ 国定公園シリーズの記念切手を母に買ってもらったことを突然思い出して涙が止まらなくなる。
◎ 母が死んだときに備えて、たくさんビデオとか写真をとっていたけれど、動画は見ることができない。
声を聴くのが怖い。夢の中や、ときどき聞こえる幻聴で今のところ充分。
◎ 母が死ぬ瞬間のぐちゃぐちゃになった心電図(?)の波形。
◎ 母の死のイメージ。
白くてつるんとした繭玉のような人ひとり入るくらいの楕円形。
日いちにちと枯れ葉に包まれていくのだけれど、ときどき浮かび上がってきて激しく心を揺さぶる。
◎ ボーブルはやく開店しないかな。
◎ 母親のにおいをとっておく缶詰があれば売れるんじゃないかな。
◎ どうせ死ぬんだから、みんなしあわせでいてほしい。
コロコロを押しながら半ケツでトイレへ向かうおばあちゃん。 カワユイ・・・。
posted by おばあちゃん at 17:10|
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日記
2019年08月31日
母が亡くなったあとでA
母が亡くなって4か月が過ぎました。
前向きに生きていこうという気持ちと、空虚な気持ちが混ざったような状態です。
今日はいま考えていることをつらつらと書いていこうと思います。
◎悲しみを少しでも和らげる方法
@母が生きているかのようにふるまう。
嫁さんが母の分の食事も作ってくれるので、今でも3人で食べている。
この発想は僕には思いつきもしなかった。嫁さんの育ちの良さに感謝。
A死んだ母になってしまう。
くわしく言うと、母の言葉遣いや母の生き方を僕のものとしてしまうこと。
母は気仙沼弁と盛岡弁がまぜこぜになった言葉だったので、僕も酔うと使ってしまう。
「ハイボールけで。」「やめでけで。」など。
母は弱いものとか小さいものにとても共感的だったので、僕もそのように生きていこうと思う。
続きます。
posted by おばあちゃん at 16:55|
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日記
2019年07月18日
母が亡くなったあとで@
4月に母が亡くなってから3か月が過ぎました。
最近は、体が震えるような悲しみを感じることは少なくなっています。
ただ、ぼんやりとしたむなしさが強まっているような気がします。
自分の気持ちを文章にすると、なんとなく心の整理ができて、落ち着けるような気もします。
今日は、母が亡くなってあとに、僕が初めて経験したことを箇条書きにしてみます。
@僕のまわりの友人・知人たちが優しくなって、何かふんわりとつつまれるような不思議な感覚があった。
A経験したことがない強いストレスのせいか、周囲の人に八つ当たりをしてしまった。
B母が死んでしまえば不幸のどん底に落ちると恐れていたけれど、逆に自分は幸せだと確信した。
C自分が幼児と変わらないと知った。というのも、「母ちゃん死なないで。」「母ちゃん苦しいよ。」「母ちゃん助けて。」なんてゆうレベルのことしか考えられなかったから。
Dふっと近くに母の存在を感じることがある。これは僕だけでなく、僕の嫁さんも感じていた。
続きます。
posted by おばあちゃん at 20:34|
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日記
2019年06月18日
母の死A
4月8日の夜、母はおでんをのどに詰まらせました。
背中をどんどんとたたいても吐き出せず、救急車を呼びました。
その車内で母の心臓は止まりました。
「大丈夫だ。大丈夫だ。」とつぶやくような声が、最後に聞いた母の声です。
東北医科薬科大学病院で蘇生に成功しますが、13日に亡くなるまで意識は戻りませんでした。
あれから2か月過ぎました。
まだつらいです。眠っても、夢もつらいです。晴れた空をみて突然涙が出てきたりします。
続きます。
posted by おばあちゃん at 20:03|
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日記
2019年05月23日
母の死@
このブログを書いておりました母・順子は、4月13日に亡くなりました。80歳でした。ブログを読んでくださった方々に感謝いたします。本当にありがとうございました。
このままこのブログは息子である僕が、母の死を迎えるにあたりどのような経験をしたのかを書いていくことにします。
その理由は次のようなものです。
自分の人生から母が失われてしまう恐怖に僕はすっかり怯え、どうしていいかわかりませんでした。
そして、母親を亡くした経験をされた人たちのブログや相談掲示板を必死で読みあさっていました。
今は僕が自分の体験を書き、少しでも誰かの役にたてればと思ったのです。
母のことを書くと、いまだに涙がこぼれ、文章も支離滅裂となってしまいますが、ご容赦ください。
続きます。
posted by おばあちゃん at 20:34|
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日記
2016年03月03日
論語を書いた人は誰でしょう?
皆さんは、論語を書いた(作った)のが誰か知っていますか?
「論語と言えば、孔子でしょ…。」
と、思われる方も多いかと思いますが、
じつは、「論語」を書いたのは、孔子自身ではなく
孔子の弟子たちなんです。
孔子が亡くなった後に、孔子の弟子たちが孔子の名言をまとめ
それが「論語」となったそうです。
そもそも「論語」とは、論語について書いた書物ではなく
孔子とその弟子たちの問答を記録した名言集のようなものになります。
短い文章の中には、孔子の人柄や教え、個性あふれるその弟子たちの
勉学に対する思いが記録されているのです。
なので、「論語は、孔子とその弟子たちの勉強の思い出なんだ…。」
と考えてみれば、論語もそんなに難しい内容の書物ではないと
思えてきます。
posted by おばあちゃん at 17:05|
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2016年02月25日
仁について
「仁を本当に志しているなら悪ではあり得ない」
本当に仁を志しているなら、もはや仁なのであって、
悪ではあり得ない。
なぜなら、仁とは学習回路の作動であり、
悪とは学習回路の停止を意味するからだ。
論語の中に、多く「仁」という言葉が出てきます。
仁とは分りやすく言うと、「徳」の一つで、
人を思いやる気持ちを考えた、人間関係の基本のようなものです。
この論語を私なりに考えると
思いやりを持って人と接する気持ちが
人間関係をより良いものにしてくれるのではないかと思います。
posted by おばあちゃん at 16:49|
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日記
2016年02月18日
論語とはなんでしょう。
友達と論語についていろいろ話していたら
堂々巡りになってしまいました。
論語の内容に対して、
肯定的な意見の本もあれば
否定的な事を書かれている本もあり
結局、「論語ってなんなの?」という話に…。
つまり論語は、奥深い学問なんだなぁ…という意見で
その時はまとまりました
まだまだ勉強しなくては。
posted by おばあちゃん at 17:01|
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日記
2016年02月04日
新しく買った外人さんの論語本です。
先日、新しい論語の本を買いました。
外国の方が書いた本です。
安富先生の本とは違った解釈で論語について書かれていて、
私的には、この本も捨て難い物があります。
posted by おばあちゃん at 16:28|
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